2017.03.21 日誌
啓蟄を過ぎても、まだまだ寒い日が続く。
小屋の中のうさぎも、ひっつきくっつき寒さをしのいでいるようだ。
そんなある日、「先生、来て来てぇ。お花が咲いたよぉ。」の声。
園庭のすみっこにひっそり咲いた梅の花を、
まっ先に見つけた子どもたち。
ほんのりピンク色で甘い香りをはなって咲いている。
♫ もう春ですよ。春ですよ~ ♫
そんなうたが聞こえてきそうだ。
こちらは、桜の木、
「このお花は、4月頃に咲くよ。」
と、側にいた年長さんに言うと、
「このお花が咲いた時には、もうここにはいないんだね。」
と、少し淋しそうに話す。
そう。この桜の花が咲く頃には、それぞれ1つ大きくなって新たなスタートの時を迎えている。
そんなことを、子どもたちと一緒に思い浮かべていた。
また、ちがう日。
「先生、ほら鳥の巣。」と言ってみせてくれた女の子。
「どこにあったの?」と、尋ねると、
「作ったの。」
えっ?
「こっちに来て。」
「この穴に、これ(枯れ草)を入れて、
棒でさして…」
出来上がり!
すごい!見事!と、
ひとしきり感心しながら、
「こんなところに穴があいてるのよく知ってたねぇ。」
と言うと、
「前から知ってるよ。だって、この穴にはね、じゃがいもも植えてるんよ。」
のぞいてみると、
じゃがいものような小石がゴロゴロ。
ただのブロックの穴が
子どもにとっては(知的好奇心と)創造力をかきたてる
魅力あるものだったようだ。
こちらでは、サラ粉あつめを夢中でやっている子どもたち。
その方法に目をみはる。
砂をのせたフライパンをカタカタゆらしながら、
遠心力を使って軽いサラサラした土だけを
とりわけている子。
ざるの中に入れ、粗い石だけを取り除いている子。
それそれこんな方法をいつ誰に教えてもらったのかわからないが
あたりまえのようにやっている。
こうして子どもたちは、遊びの中で科学的な原理を知らぬ間に
獲得しているようだ。
こちらでも楽しそうな遊びが始まっていた。
丸太チームと、どこからか子どもが運んできた”タイヤ”のチーム
に分かれてのジャンケンゲーム。
「負けた人は、ここを通って後ろにいくんよ。」と、
ルールも自分たちで決めているようだ。
この丸太は、今日はこうして使われているが、
ある時はベンチに。ある時は平均台に。
またある時は、
お団子屋さんの店頭になっていた。
広い砂場では、年少、年中、年長さんが入り混じって
力を合わせて足を踏ん張って長い長い川が
できていた。
よく子どもは、”遊びの天才だ”と言われるが、言葉を本当に実感させられる。
既成のものではないところから生み出す力。
既成ではないから生み出される力を感じる。
近頃、”先生見て見て”と、声をかけられることがよくある。
自分の作ったとっておきのものやおもしろい遊びを見せてくれるのだ。
それぞれがそれぞれのものを自慢してくれる。
これは、良い自慢だ。自分の好きなこと、得意なことを自分で知っていて、自信をもてることは、
とても素晴らしいことだと思うし、これからもどんどん自分の自慢のものにみがきをかけてほしいと思う。
毎日保障されたたっぷりの自由な時間の中で、
自分の心を使い、頭を使い、身体を使って、
自分の好きなことをとことんやってきた子どもたち。
その毎日の積み重ねであるように、生き生きと自信に
満ちあふれた一人ひとりの子どもたちの姿を見ながら、
その成長を本当に嬉しく思う。
いつの間にかふくらんだ桜のつぼみ。
力をたくわえ、準備を整え、花開く時を待っている様は、
今の子どもたちのようだ。
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