学校法人 ロザリオ学園

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2016.12.21 ブログ

「ぼくのともだち!」

2016年11月26、27日
第68回全国人権・同和教育研究大会(大阪)にて愛媛県代表として、ロザリオ学園・若葉幼稚園のA先生が発表されました。

  テーマ「ぼくのともだち!」
  ~自閉症児とのかかわりのなかで~

 まず、発表内容を要約しお伝えします。
 3歳児で入園してきたB君は、自閉症スペクトラムの診断を受けています。入園当初は、登園後お腹が空くまで園庭で遊び、室内に入って来ても、部屋の中を走り回ったり突然、友だちの近くに寄っていって相手の腕を力任せに引っ張ったり暴言を吐いたりしていました。周りの子どもたちは「B君怖い子、悪い子」と思うようになりました。A先生もB君の行動を制止するだけのかかわりになったりみんなと一緒の集りなどに誘っても参加しようとしないB君になすすべがなくあきらめた気持ちの毎日でした。そんな時に定期的に園を訪問している特別支援教育士の方から話しを聞く機会があり、「B君を周りの人に合わせる必要はありません。苦手なものを頑張らせなくていいのです。それよりも、自分の好きなもの、得意なことをどんどん増やしていきましょう。そしてB君の興味、関心の世界でみんなの人気者になれたらいいですね。」という言葉はとても衝撃的であったと述べられています。
 その後、職員全員でB君の好きなことや得意なことを探していくとB君は入園当初から虫が大好きで虫を見つけることがとても上手であることが分かりました。A先生は、B君が虫に夢中になれる時間を保障しB君の世界観を一緒に楽しみました。その内に「B君、虫捕り名人やね。」「虫博士やね。」「その虫どこでつかまえたん?」「なんていう虫?」「それほしいなあ。」と周りの子どもの方からB君の世界に興味をもち始めB君もみんなの会話の中に少しずつ入れるようになりました。
 そんな折、A先生はB君に「見つけた虫のことみんなに話してあげるといいんじゃない?」と提案すると、B君は帰りの集りに参加し自分の持っている知識を総動員し自分の言葉で一生懸命説明しました。年少児はそんなB君に憧れ「B君大好き」と言いました。B君はA先生に「あの子はどうしてぼくのこと好きなの」と尋ねました。A先生は「B君のこと、かっこいいと思ったみたいよ。」と答えると「ぼく、かっこいい?」とうれしそうな笑顔を見せました。
 年長になり、虫の絵をよく描くようになり、周りの子どもたちに頼まれ、B君は照れくさそうにしながらも誇らしげな表情で描き友だちにプレゼントをしました。友だちから「ありがとう」と感謝されました。B君は友だちの名前をなかなか覚えられず、この頃から「ぼくのともだち」という言葉をよく使いました。「この子、ぼくのともだち?」「ぼくのともだち、今日休み?」
 ある日、年長児C君より折り紙のしゅり剣をプレゼントされました。B君はC君に「ぼくがクワガタあげるって言ったけん、くれるん?」とC君の顔をのぞきこむとC君は「ともだちやけんよ」と答えました。その時、A先生はB君のうれしそうな顔を見てB君がこれまで本当に欲しかったのはこうした友だちだったことを感じられたのです。

 発表ではB君の母親の様子も伝えられ、B君の変化に半信半疑の母親に園での生活の様子を伝える写真日記を作り、それを家に持ち帰り母親がB君の成長に気付くと共に、写真日記を通して言葉によるコミュニケーションが苦手だったB君が、自分の内面を少しずつ表現できるようになりました。
最後にA先生は次のような言葉で締め括られています。
「最初に出会った頃、自分の思い通りにならないB君に対してなすすべがなくとても苦しかった。B君を変えようとした私はB君が自分らしく生きる方法を一緒に探しながらいつの間にか人が認め合い、繋がるこの温かさを教えられた」と。

 発表を聞き終えて私は、特別支援教育士の言葉やA先生の最後の言葉は、全ての子どもに共通するものであると思いました。全ての子どもが自分らしく生きることが大切なのです。

 A先生は、子ども達を一斉に集め、B君自身のことやB君への接し方を話されたことはありません。(してあげる、されるは人と人の間に溝を作ります。)子ども達が自らB君とのかかわりをつくりあげていったのです。この土台にあるのは、異年齢混合の自然な人間社会で多様な人との出会いを経験し、更に自由な環境の中で、一人ひとりの子どもが自分を出し切って生活することが保障され、互いに「良いところも、悪いところも」全てを受けいれ、一人ひとりが大切な存在として認められる生活の中にあるように思います。

 発表の中でA先生は、芋掘りの遠足での出来事を話されました。帰りのバスの中でB君は、農園の人に向ってずっと手を振り続けていました。A先生はB君に危ないのできちんと座るように促されました。それを見ていた子どもが「先生がB君の体を持ってあげたらいいやん」と言いました。A先生は「はっ」として、自分は外側ばかりを見ていてB君の心を見ていなかったことに気付かされました。これはA先生が普段から子どもに対して謙遜であり常に子どもから学ぶ姿勢で保育されているからです。この気付きは先生ならば誰にでもできることではありません。(その後B君は手を振ることに満足すると、自分からきちんと座ることができました。)

 先入観をもたない幼児期にこそ、様々な違いをもった人と共に生活をすることは大切なことです。その生活を通して無意識に一人ひとりを尊重する精神が吸収されていくことでしょう。

 

学園長
岡山 眞理子

 

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